確実にこの社会に存在しているというのに、教育を受けたり社会資源にアクセスしたりして、社会を構成する個人、一員として生きていく機会を障害当事者は奪われ続けている
「何もわからない」ところに避けられて健常者からの支援を待たねばならない
自分から「こうしてくれ、こう生きたい」と声を上げる力を奪われ続けていると思うのだけど
何も、声を上げることだけが生きることではないし、健常な人でも本邦では声を上げないからそれが通常だろうと思われるかもしれないけど、酷い境遇にあっても生き方を選ぶ気力すら奪われているって思うんだよね
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もらん (moran_aoki@fedibird.com)'s status on Thursday, 06-Jun-2024 01:38:33 JSTもらん