@AB77ko 改めてあらすじ確認してきました。
エーミールとぼくは、ともに同年代の子どもよろしく、蝶(蛾)のコレクションをしています。
しかし、エーミールとぼくとでは蝶を評価する視座が異なることも描かれます。エーミールが標本化の技術や、いわゆる「蝶」としての完全性(足が欠けていないなど)を評価の主軸とするのに対し、ぼくは捕獲の喜びやその蝶個体それ自体の有り様を自身の感性で評価します(ぼくがコムラサキをエーミールに見せた際にこのような描かれ方がされています)。ぼくのコレクションは、基本的には妹にしか見せていなかったにもかかわらず、コムラサキに関してのみエーミールに見せることにしました。
エーミールは「誰しもが良いと思うかどうか」を基準に自身も評価するのに対し、ぼくは自身が良いと思うかどうかを基準にし、「誰しも」的な第三者の評価をそこまで意識していなかった。端的に言えば、エーミールは交換可能なものとしての「相場」的価値を見いだす(それは他者と評価の基準をある程度共有していることを前提とします)のに対し、ぼくは自分にとっての「まさにこれ」的価値を見出だす。ただし、ぼくは、エーミール的価値観との間でゆらぎを見せます。
ぼくのクジャクヤママユへの欲望は、「俺だけにしか……」的なものだったかと考えています。