塩水港精糖株式会社(えんすいこうせいとう)は、砂糖の製造販売を行う日本の製糖会社。
概要
『パールエース』印の砂糖で知られる。
1903年(明治36年)に台湾塩水港庁下岸内庄(現・台南市塩水区)に現地資本により設立された「塩水港製糖会社」が源流。日本で3番目に古い伝統を持つ製糖会社である。
1907年に旧「塩水港製糖会社」を継承して株式会社として再編され、台湾島内で7工場が稼働、台湾四大製糖会社の一つに発展した。創業時より資本参加し、最盛期には筆頭株主であった鈴木商店が1927年に破綻したことにより、主力工場(旗尾、恒春)は台湾製糖に移譲された。第二次世界大戦後、塩水港製糖の日本国内の資産を継承して1950年に「塩水港倉庫」が設立され、まもなく商号変更されて「塩水港精糖」が誕生した。終戦後、台湾の新営製糖所、岸内製糖所第一第二工場、花蓮製糖所、溪州製糖所、台中製糖所は国民政府に接収され、それぞれ新営総廠、岸内糖廠、光復糖廠、溪州糖廠、台中糖廠と改名したが、2022年現在はいずれも工場としては閉鎖され生産は行われていない
。また、台湾での創業から社名がそのまま単独で受け継がれている、数少ない企業の一つである。
1964年(昭和39年)から大洋漁業(現在のマルハニチロ)と資本提携を行っていた。2005年(平成17年)3月には傘下を離脱、新たに三菱商事の系列となった。
澱粉を原料としたサイクロデキストリン(環状オリゴ糖)に関する技術を有し、開発した商品は甘味料における「オリゴ糖」ブームのきっかけともなった。
沿革
1903年(明治36年)12月 臺灣鹽(塩)水港廳岸内庄で(旧)鹽水港製糖會社(商法によらない台湾人のみの組合組織、資本金30万円)が創立。台湾総督府糖務局台南支所長堀宗一(技師長、後に塩水港製糖の常務取締役に)の折衝で南部巨商の王雪農が社長に就任。
1907年(明治38年)4月 岸内庄から新営庄駅までの人車軌道敷設につき、旅客および荷物運送の営業開始する。
1906年(明治39年)支配人に槇哲が就任して赤字を整理し、配当始まる
1907年(明治40年)3月 社名を鹽水港製糖とすると共に、東京株式市場に上場する。社長に荒井泰治、常務に槇哲(1917年より社長)就任。
1908年(明治41年)販売特約店として、鈴木商店(神戸)、安部幸兵衛商店…