原爆投下後の広島には、現在、日本でおそらく一般的に思われている以上に、アメリカから多くの支援が入っていたようです。
それをおそらく、外部の人たちは「美談」としてみるのだろうと思います。
しかし、この支援が、原爆投下に対する反省的な内省を伴わない場合、被爆者にとっては二重の意味での「恥辱」となる可能性があります。
一度目の恥辱は、当然のことながら原爆投下。
二度目の恥辱は、原爆によって自分達の力を見せつけた後に、それによって被害を受けた人間を支援することによって、加害者側がさらなる優越感を抱くという意味での恥辱です。
こうした観点から考えても、人為的な原因によって被害が起きた場合の、加害者から被害者への支援にはらまれる倫理性は、厳しく問われるべきことだと考えます。
天災と人為的な要因で起きた災害/事故とは、ここが決定的に異なる点です。
IAEAが原発事故を起こしたわけではありませんが、原子力の平和利用を推進してきた側であることは、柏崎刈羽原発の再稼働への全面的バックアップから考えても明らかです。
そこに孕まれる支援/被支援の倫理的問題については、慎重に見ていく必要があります。