国立西洋美術館の企画展オープニングでの「川崎重工は虐殺に加担するな」など出品アーティストらによる訴えのパフォーマンスについて。「アーティストなら作品で訴えろ」「わかるけど方法や内容がなってない」とかいう意見が やはり出てきた。そんなこと百も承知で、やむにやまれぬなかでの追い詰められた危機的状況での手段ではないのか?そもそも、注目されるオープニングでの主張は効果的だと思う。「こわい」「私は知らされてなかった」という意見で終わりとするほうに情けない限りと感じる。怖いと感じたことや、知らされていないことが情けないわけじゃなくて、それしか言えんのかという話。アーティストなら作品でなくても述べろよ。