男性は、男性の悲劇には共感を抱きやすい、女性は女性の悲劇に共感を抱きやすい、という傾向が、圧倒的に男性優位な報道世界のなかで巨大なバイアスとなり、女性の存在そのものが過小評価されることになっているのではないか、と最近はほぼ確信を抱いています。
福島の放射線量がまだ高く、子育てに懸念を抱く人たちが多くいた頃、お子さんと母親だけが県外に避難し、夫は職場のある関係で福島県内に平日は残り、週末は避難先の家族のもとへ車で数時間かけて通う、という生活のエピソードを聞いた際に、高齢の男性研究者が、夫にだけひどく同情して、気の毒がっていたことを印象深く覚えています。
旦那さんは気の毒だ、気の毒だ、と連呼していたのですが、私は、一人で知り合いもいない避難先で小さな子供を育てなくてはいけない母親も十分に気の毒だと思うのに、なぜ夫だけ気の毒がるのか、まったく理解できなかったことを覚えています。
ちなみに、この家庭は、夫婦で話し合った結果、夫婦二人で、子供を守るための避難を決断した事例でした。妻が一方的に出て行ったのではなく、夫も納得の上での二重生活だったのに、夫だけが気の毒、というのは男性バイアスだったのだろう、と今は思います。