武藤 貴也(むとう たかや、1979年〈昭和54年〉5月25日 - )は、日本の元政治家。衆議院議員(2期)を務めた。
経歴
北海道白糠郡音別町生まれ(現・釧路市。2005年10月に合併)。1998年3月、北海道釧路江南高等学校卒業。5年間のアルバイト生活を経て、2003年4月に東京外国語大学外国語学部ペルシア語学科(現・言語文化学部言語文化学科アラビア語・ペルシア語・トルコ語部門)に入学。同大学卒業後、京都大学大学院公共政策教育部修了。大学院在学中の2007年、地域政党「対話でつなごう滋賀の会」の滋賀県議会会派の政策スタッフになった。
2009年3月15日、次期衆院選の滋賀4区の自民党公認候補だった岩永裕貴が父・岩永峯一の政治資金問題の影響により立候補を辞退。これを受けて同年4月に自民党県連は全国公募をし、選考の結果、武藤が滋賀4区の自民党公認候補に選ばれた。居所を近江八幡市桜宮町に構え、8月30日の総選挙に立候補するも民主党の奥村展三に敗れ、落選した。
2012年の第46回衆議院議員総選挙に再び立候補し初当選した(日本維新の会の岩永裕貴も比例復活で初当選)。
2014年の第47回衆議院議員総選挙で再選。
2015年8月18日、武藤が知人に「値上がり確実な新規公開株を国会議員枠で買える」などと持ちかけたとして、金銭トラブルとなっていたことが「週刊文春」に報じられた。これを受け、武藤は8月19日に自由民主党を離党した。武藤は、辞職を求めた自民党県連について、報道を鵜呑みにしたことが残念という見解を述べた。さらに8月26日、未成年者を複数回、買春していたことが報じられた。また、8月7日以降9月27日の閉会まで第189回国会を欠席した。
2017年9月28日、衆議院解散に伴い失職。10月5日、第48回衆議院議員総選挙には立候補しない旨を表明し、理由について「復党が叶わなかった」と述べた(党は県会副議長の小寺裕雄を公認候補と決めた)。
2019年4月の滋賀県議会議員選挙に近江八幡市・竜王町選挙区より無所属で立候補したが、最下位で落選した。この時、無届文書を頒布した公職選挙法違反で在宅起訴され、2021年7月28日、公職選挙法違反の罪で罰金50万円・公民権停止3年の判決が大津地方裁判所より言い渡された。
2023年4月23日、東京都千代田区の路上で知人男性を自身が運転するレンタカーの車内に押し込み、数百メートルほど走らせたとして監禁容疑で現行犯逮捕された。東京地検は9月12日付で不起訴処分とした。(後述…