奴隷解放に影響したといわれる「アンクル・トムの小屋」は19世紀の小説だ。だが、例えば20世紀の悲劇(例えば世界大戦、ジェノサイド、原爆)は共感できる文学作品の対象として巨大で複雑すぎる。それに世界中至る所に存在する膨大な数の人権問題を理解するのにいちいち共感を動かしているのでは追いつかない。
人権問題がそこにあるなら、実務的に理屈で対処しなければ追いつかない。国際人権法の体系は、長年の経験からの知見を取り込んでおり、大きな間違いが生じないように注意深く組み立てられている。それは哲学思想というより、各国の行政機関、国連、人権NGO、それに個人にとっての規範、判断基準だと考えればいい。
そして数ある人権問題の中で、分厚い物語の積み上げに触れてより深く共感した問題があるなら、その知識と共感に由来する情熱を用いてより有効な取り組みを模索するのがいい。もし既存の国際人権法の体系に過不足があることが分かれば、そこは修正していけばよいのだ。
例えば、デジタル技術の社会的影響と人権の関係は、2010年以降に議論や法整備が進んでいる段階だ。SNSの膨大なハラスメントやヘイトスピーチ事例を、いちいち共感して対処していたのでは間に合わない。国際人権法という基準に則って事務的に進めるのがベターなやり方だ。
(続く