私の感想:
「理論家よりもジャーナリストが重要である」という部分は、私自身も居住まいを正して読んだ。ジャーナリズム=個別的具体的な物語の分厚い積み上げが重要であることには異論はない。
ローティの議論は、イギリス経験論、アメリカのプラグマティズムの伝統を汲む。「共感が大事」という発想はアダム・スミスの「道徳感情論」からの伝統。大陸の形而上学を否定する発想も英米系の哲学者の伝統といえる。
たしかに、人権の根拠は「すべての人が本質的に持つ不可侵、不可分な権利群」という抽象的で形而上学的なものだ。「人権は人の理性、尊厳に由来する普遍的な原則である」と考える点において、人権はカント倫理学の影響下にある(なおカントと人権の関係については議論が絶えない。逆にいえば、議論が絶えないほどの深い関係があるのだ)。
一方、ローティは、形而上学的で普遍的な真理・本質の追求を否定するところから出発しているので、カント倫理学も当然否定する形になる訳だ。
私の意見だが、もちろん共感できるなら共感した方がいいに決まっている。だが、"かわいそうな人達の物語"を読んで共感しなければ人権が守れないようではコストがかかりすぎる。そして発想が古い。(続く