要覧には加茂水力の開業年が「5」としかなかったので昭和5年と思ったら、大正5年だったようです。大正の統計には自前の水力発電所が載っています。その出力10kWというささやかさですが、ちゃんと水力発電してたんですね。
その発電所は西加茂水力発電所といい、まさに都井睦雄が住んでいた西加茂村にありました。で、大正末年の統計を見ると加茂水力は赤字だったようです。地域でささやかな電気事業を起こしたけれど経済的にうまくいかず、大手資本の傘下に入ることで村の電気を維持した、という展開が想像されます。
なぜ、中国合同電気は救済合併しないで形の上では加茂水力を存続させたのかというと、多分料金の問題だと思います。中国合同電気の、岡山市以外の郡部での料金は、20Wで1か月70銭でした。いっぽう加茂水力電気は73銭です。儲からない田舎の電気を割高な水準にしておくために、実質的に中国合同の一部となっても、加茂水力は別会社で残されたと考えられます。
というわけで誰か Wikipedia 直しておいてください。