私が「エリート・パニック」の記事で参考にしたのは、エリートは非エリートを非人間的に捉えているということ。「こういう事件があったら、当然『大衆』はパニックを起こすだろう」という妄想をもとに、一般市民の知る権利の剥奪が行われる。
そして、そのようにあからさまな差別意識にさらされながら(知らなくていい、考えなくていいと言われ続けるのだから)、自分たちを差別している相手の妄想の強化に協力し、尽力しすらすることの倒錯について考えています。差別する側についているかぎりは安全だと思っているのでしょうか。差別のある世界を保守していたらいつその矛先が自分に向くかわからないのに。
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くまの雨子 (nuruuri@mastodon.social)'s status on Tuesday, 09-Jan-2024 15:36:50 JSTくまの雨子