能登半島も田舎ですから、地域社会のつながりは強く、高齢者は特に地域社会の支え合いによって、日常生活を保っていた人も多くいたと思います。
こうした地域にとって、地域社会のつながりが断たれるということは、物心両面での相互扶助の関係が一切失われることを意味します。
最初の仮設住宅の入居設定が、地域社会のつながりの存続に決定的に影響する、というのは、1972年パッファロー・クリークの事例でも指摘されていて、これは世界共通どこでも共通なのだと思います。
バッファロー・クリークでももとのコミュニティを考慮せず、行政が官僚主義的に機械的に割り振った仮設住居割り当てが行われた結果、被災した上に、顔見知りとの情報交換などもできなくなり、相互扶助も絶たれた被災者は、それも原因のひとつとして長期抑うつ傾向となったことが指摘されています。
これは東日本大震災でも同様のことが起きていますし、神戸淡路でも同じことが指摘されていたと思います。