私も思考実験、というか自分で考えた例をもとにした考察というのをたくさん使って分析をするタイプの哲学者だけど、それって自分にすでにある用法の理解をもとにして「こんな例なら使う」「こんな例には使わない」というのを繰り返しアウトプットする作業なんですよね。で、自分の身につけた用法が生み出した事例群をもとに必要十分条件の明示化を目指す。思考実験だって適当に思いつくままにやるのでなく、一定の秩序がいる。
もちろん用法の記述ではなく、概念工学的な発想でよりよい概念に仕上げるみたいな分析もあるけれど、これはこれで「その概念が何の目的に向けられているか」を理解したうえでなされないとしっちゃかめっちゃかになってしまいます。
トランスに関して好き勝手言う研究者たちが批判されがちなのは、「当事者でないから」ではなく「議論する出発点にまだ立っていないのに見切り発車して適当なことを言って、そのくせそれを価値のある議論だと思い込んでいるから」だと思ってます。