「あの時扱かれたから今の自分がある」と言う人は、そうやって育てられたか過去を否定されたくないのかもしれないと思う事がある。「自分が受けた酷い仕打ち」が、自分を育てる為でも愛情でもなく「ただの暴力だった」という事を認めるのは、ある意味殴られた事よりも辛いかもしれない。僕はそう思う事がある。