「自分が思うにそれは当時、江戸期から明治期に移る中で、アヘン戦争が起こるとか、ヨーロッパに中国がどんどん侵略されている。それに負けないような国家にするためには、民主主義をちゃんとしないと西洋に負けるという議論が出た。だけど、民主主義の使い手を天皇が全部取り仕切るようなやり方をしたから、日本が戦争国家に突入した。そういう説明をしています」
これは端的に言って歴史的事実に反します。松井市長は自覚的かどうかは分かりませんが、歴史修正主義の範疇に入り込んでいます。
教育勅語の起草者である井上毅や元田永孚について私は専門ではありませんが、彼らが「民主主義」に親和的であったとは到底思われません。まして「民主主義の使い手を天皇が全部取り仕切るようなやり方」とは意味不明です。まさか元田が天皇親政運動の担い手だったこと!?
明治の政治史は私は詳しくはないですが、宮中で元田らによる天皇親政運動があり、それに対して憲法を定めて天皇は政治と距離を置く、のちの言い方をすれば天皇機関説的な伊藤博文らの方針が勝った、というのは定説だと思います。元田の考え方は明治時代ですら過度に保守的といっていいのでは。