道徳は自分自身でその意味を認識して守るのでなければ、単なる権威主義に堕してしまいます。教育勅語の徳目は、個別には「いいこと」のようにも見えますが、それが「天皇のためだから守れ」という権威主義である以上、自立した個人を建前とする民主主義とは全く相いれないのは自明です。
それほど漢文の知識がなくても教育勅語が民主主義(=主権在民)と相いれないことは読めるだろうし、教育勅語がどう読まれどう解釈されてきたか(これを理解するのに漢文の知識は要らない)をちょっとでも知ればそんな世迷い事は言えない筈なのに、それを開き直るこの市長の厚顔無恥たるや。
それにしても、「どっかが悪かったから全部悪いとか、どっかがよいから全部いいと判断しないで、多面的に考えるということをやっていかないと、いろんな意見があったときに対応できなくなってしまう」とは一見もっともなようでいて、みずから価値判断する勇を欠き、古びた権威に依存しているだけです。