それにしても、100年単位で広域に影響が残るにもかかわらず、国になんとかしろ、というしか仕事ができない福島県政に存在価値が本当にあるのか、という話だと思います。
これが新潟県であったり、他の県であったなら、自前で公開性のある委員会を自前で複数立ち上げて、お手盛りではない実のある議論をとっくに積み上げているのではないでしょうか。
公開性が高くないと、開いても意味がないですが、秘密主義の福島県庁は決して委員会を公開にもしないでしょうし、そのあたりも事態がこじれていく大きな原因なのだと思います。
県庁内にTOKIO課を立ち上げるより前に、立ち上げなければならない委員会はいくらでもあったように思います。