>六〇-七〇年代に達成された教育の平等化やホワイトカラーとブルーカラーの格差縮小といったプラス面が、八〇年代以降の新自由主義時代になるとマイナスへと反転します。学歴による地位達成が実現されたことによって、多くの人々が努力によって地位を獲得することが可能だと考えるようになりました。逆に考えれば、地位を得られなかったのは本人の努力が足りなかったのであり、それによって生み出される格差は仕方がないという意識の広がりです。
>実際には、六〇-七〇年代に達成された教育の平等化は、六・三・三制という単線的で平等な教育制度、全国に万遍なく設置された授業料の安い国立大学の設置、全国レベルでの小学校・中学校・高校の教育レベルの平等、敗戦による資産格差の縮小と戦後の所得再分配政策による所得格差の小ささなどの社会的条件とセットで初めて実現されました。
>しかし、その面が不可視化されてしまえば、「本人の努力」のみがクローズアップされます。それは「努力しさえすれば何とかなる」と考える「努力主義」を蔓延させました。(現代思想4月号p26-27)