寧ろそれらのことは私たちの方からジュディス・バトラーに対して突き上げて、要求し、わからせてやることなんじゃないですかね。昔、臨床心理の勉強をしている時に、アメリカ人の先生から、白人中心主義ではなくて、他の人種も尊重されるべきだという講義を受けていた時のような、「いや、それ、あんたに言われたくない」的な気分になります。
私は人の話を聴くのが仕事です。なので、さっき書いたような「皆んな仲良く」の日本人の話もいつもこれでもかと聞かされている。だから、そういう人が(一般的な日本人が)どのくらい人格のコアの部分までそのような価値観で出来ているかよく知っているし、そんな人にちょっとやそっと何かを「教えた」ところでびくともしないことも、身に染みて知っています。仕事中の私は「反論」はしませんし説教も自分の考えの開陳もしません。ただ彼らの気持ちを一所懸命聴いています。
そして時に彼らに罵倒されたり叱られたりします。そうする中でほんの少しずつ彼らは、不平不満を言ったり、要求したり、権威者としての私の前で、私の言葉をありがたがって萎縮して聞くのではなく、堂々と自分の気持ちを私に伝えるのが自分の当たり前の権利であることに気づき始めます。