この状況を「戦争」というのは間違いなんだろうな。私も #NoWar というハッシュタグで連帯した。でもこれはイジメを喧嘩と表現するような間違いがあるんじゃないだろうか。
『戦争』という言葉は国と国が武力を投じて喧嘩しているような印象がある。力と力のぶつけ合いだ。今ガザに起きていることは果たしてそうだろうか?
こうした『戦争』という状況になったとき、なぜ市民それも子供たちや病人やあるいは"女性"とみなされる者たちが標的にされ報道されるのか。その一説に、軍の士気を下げるための精神性への攻撃だという話を聞いたことがある。
これは『戦争』なんだろうか?武力と武力がぶつかっているのだろうか?国と国の『喧嘩』なのだろうか?
私はそうは思えない。むしろこれを(※現在私たちがもつイメージとしての)『戦争』と表現していいのだろうか。いけないのではないか。これを『戦争』というとき、何かが見えなくなっているのではないか?何かを見えなくさせるために『戦争』ということにしておきたい意図があるようにも思える。
あまりに安易なのだ、この状況に対して『戦争』といってしまえることが。