惑いを言語化しにくい、共有しにくいのは、旧Twitterに顕著ですが、ソーシャルメディア全般に共通していて、どっちつかずの意見を表明すると、結論がどこからか飛んできてしまうというのも大きいと思います。集団的なものにせよ、個人的なものにせよ、なんらかの打開案というのは、惑いのなかからしか出てこないものなので、結論を言い合えば言い合うほど、打開からは遠ざかってしまう。