いわゆる「論破芸」の問題点って要するにディベートの暗黒面で、古代ギリシアのソフィストやデマゴーグのアレな点とほぼ同一なんだよな。つまりディベートにおける勝利は議論の形式的な出来の良し悪しを競うだけで議論内容の真実性ないし有効性とは全く無関係なのに往々にしてその点が忘れられているし、いわゆる論破芸も論破したと称する側の議論に全く内容の価値や真実性の担保が無いのに「勝った」というだけで内容にも勝ちがあるように受け取られてしまいがちなわけで。