だれだって置かれた場で最善をやっているとは思っているし、悪意の扇動をしている人間でもない限りは、思いたいと思って生きていると思う。
それって性善説ってことでもない。そういう体で出来る限り関われたらなと思っているだけである。物事には優先順位があって、出来ないこともあるけれど。そもそもどうしてこんな風に感じてるんだっけと思ったら、どうやら私にはネルソン・マンデラの存在が希望なのだ。
ネルソン・マンデラは刑務所の中でも次第に刑務官を感化していったし、黒人の報復を恐れる白人たちを刺激する発言も抑えていた。
だが今差別や困難に直面する人、そしてしてきた人にこうあれ、ということは出来ない。取り除けない恐怖はあるし、取り除けない憎しみはある。
今、憎しみと恐怖が暴力の種であることを深いところで理解していたマンデラのような人がまるでいないかのようになってしまっている。
本当はあらゆる人の心に、マンデラは生きているのだが。
「生誕100年 マンデラ氏が訴えたこと」(時論公論)
2018年07月18日 (水)
二村 伸 解説委員
https://www.nhk.or.jp/kaisetsu-blog/100/301996.html
ネルソン・マンデラの生涯 ③ ── ロベン島での収監生活と指導者としての役割
人種差別と闘い、自由を勝ち取るために、一人の男が獄中で身を鍛えた。その男こそ、ネルソン・マンデラ。 2023年5月10日
https://diggity.info/society/nelson-mandela-3/