大学のゼミの2年先輩である夜語トバリ先輩はクールで知的でカリスマがあって男女ともに人気が高く、みんなの憧れで私も彼女をひそかに思っている人間。そんなある日に友人主催の合コンに人数合わせとして参加したらトバリ先輩も参加していた。当然みんなからちやほやされていたけれどふと席を外したときにトバリ先輩と二人きりになった。そうしたらトバリ先輩が「このあと2人だけで抜け出さないか?」と誘われ、まだギリギリ10代だった私はスケベな想像をしてそれを承諾。隙を見て2人で抜け出し向かった先はなんとちょっと寂れたラーメン屋。トバリ先輩は「私にはあぁいうお洒落なバーみたいな店は嫌いなんだ。こういう、うまいんだかまずいんだかわからないラーメンと獺祭を呷るほうが性に合っている」と言いながら煙草を吸っていた。トバリ先輩の意外な面を知れて嬉しい反面、今までの先輩像が消えてしまった残念でもあった。けれどもっと残念だったのは、トバリ先輩はそのまま酔い潰れ、近所にあるそれなりに汚い川をさらに汚くする作業に勤しんでいた。そのままふらふらのトバリ先輩を放っておくわけにはいかないのでトバリ先輩が住んでいるという6畳1間のボロアパートへと向かった。その時点で私の先輩像は跡形もなかったけれど、軋んでいて開きにくい扉を開けた瞬間目に飛び込んできたのは、足の踏み場にも困るような汚部屋だった。トバリ先輩は「適当なところに置いて君は帰っていい」と言っていたけれど、そんなわけにもいかず、私は先輩にシャワーを浴びせてその間に部屋の片づけをすることにした。明らかにゴミとわかるようなものだけを捨てる程度だったから苦労はしなかったけれど、時々下着が発掘されたときは困った。翌日、先輩は私を部屋に連れて行ったことをちゃんと覚えていて「あの件は他言無用だ」と釘を刺されたけれど、正直言ってあの話をしたところで誰も信じないだろう。それ以降、私はトバリ先輩の部屋の惨状を思い出して再び部屋を訪れ、掃除やら料理やら洗濯やらをすることになった。最初は週1くらいのペースだったけれど、そのペースでは追い付かないくらい部屋が汚くなるからドンドン感覚が短くなって、3ヶ月経った頃には毎日通うようになっていた。付き合っているわけでもないのに合鍵を渡されたときはもう、気分は家政夫で男女の劣情なんてものはなくなっていた。トバリ先輩自分自身のことでさえ適当で、あの綺麗な髪もどうやって維持していたのかも不安なくらいズボラだった。私が髪の手入れをし始めたら、前より一層魅力的になり、ますます先輩の人気は高まった。翻って先輩の生活は悪くなる一方で、ついには「面倒だから身体を洗う作業も君がやってくれ」と頼まれてしまったくらいだ。最初はさすがにドキドキしたけれど、それだけだった。特に扇情的な雰囲気になることもなくシャワーを終えて、身体を拭いて、髪を乾かし、手入れをした。そんな生活を1年続けた。トバリ先輩が大学を卒業し、無事に就職が決まったことで県外に引っ越すことになった。これでようやく終わった、という安堵と、少し寂しい気持ちと共に先輩の引っ越し作業を手伝う。作業が終わって、特に何もなくトバリ先輩はいつものように「ん、どうも」とだけ言い残した。そうして私に平穏な生活が久しぶりに戻ってきた。寂しさはあるけれど、私も就活が始まって忙しかったからそれと感じる暇はなかった。でも、先輩が卒業してから1ヶ月後にトバリ先輩から電話があった。「最近君が家に来ないけれど何かあったのかい?」と。……いやいや、あなたもう社会人じゃないですか。そういう私のツッコミが聞こえないのか、トバリ先輩から呼び出しを食らった。新しい住所は急行電車で1時間もかかるところだった。トバリ先輩の新しい家は前の家より家賃が5倍以上しそうな綺麗なマンション。けれど部屋を訪れれば、前と変わらぬ汚部屋が私を迎え入れた。私が段ボールに詰め込んだ荷物の7割は未開封なのに、部屋はゴミと荷物でいっぱいだった。掃除の最中、管理人さんらしき人が現れて「やっと掃除屋を呼んだんだね」と言っていた。どうやら近隣の部屋からクレームがあったらしい。トバリ先輩は掃除屋ということを否定せずに適当にあしらっていた。結局、私の生活は以前に戻った。いや、先輩の家が県外になったことで負担が増えたので、より悪化している。さすがに貧乏学生の私には荷が重すぎるので、トバリ先輩にそれとなくつたえたら、先輩は「じゃあここに住めばいい」と。ちなみにこのマンションはワンルームだ。でも先輩はそんなことお構いなしに「間違いなんて起きるとは思えないね。君がそんな肝が据わっているような男だったら、とっくに童貞を捨てていたはずだよ」なんて言っていた。以降、私はトバリ先輩の家から大学に通うことになった。先輩の言う通り、男女の間違いも今更起きなかった。スタイルがよく美人で、みんなのあこがれの先輩と一緒に生活しても――いや、だからこそ何も起きなかった。トバリ先輩に対する憧れの気持ちはとっくに薄れ、ただ惰性と微弱な義務感で先輩の世話をする日々が続いた。私にとって夜語トバリという女性はその程度の認識でしかなくなったのだろうか。そして、夜語トバリという女性にとって私という存在もその程度の認識なのだろうか。そんな疑念と共に生活をしている。でも、そんな日常のふとした瞬間、たとえば、日曜日の11時過ぎに目覚めたとき、目の前に下着もつけずに私のワイシャツを着て、煙草を吸いながらコーヒーカップを持っているトバリ先輩が「おはよう。君が珍しく寝坊したせいで、私は何を着ればいいかわからないし朝食も食べ損ねてしまったじゃないか」と微笑みかけてくる、そんな姿があまりにも絵になっていて、かつて私が憧れていた夜語トバリという女性を再認識するような、そんな瞬間のために私はいるんだと思う。
っていう人生を送りたい
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悪一:smoking_tobari:本も書いてる (waru_ichi@voskey.icalo.net)'s status on Friday, 03-Nov-2023 19:10:26 JST悪一:smoking_tobari:本も書いてる