10月30日。
2年前の今日、救急病院から救急車に放り込まれて本院の方に送られた。1週間ちょっと頭痛が全く引かず仕事も忙しいから毎日毎日違う痛み止め飲んで仕事に行っていた。
仕事を早く終えたので救急に行ってみた。頭痛ということでちゃんと喋れるか・体のバランスは取れるのかなどを血圧や熱の計測のほかにチェックされ、問題ないから帰っていい、週明けに自分の担当医の所に行けと言われた。
あまりにあっさり帰されることに腹が立ち、帰っても安全かどうか医学的に証明しろと無理やりCT撮らせたら脳出血が起きていた。
今まで病院なんて年1の健康診断に行く程度だった私が連れて行かれた病院は後に誰もが口を揃えて「あそこだけはやめておけ」という病院だった。
翌日には嫌な予感がし、数日で心電図や計器の取り外しを(人が来ないので必要に迫られ)自分でやるほどになり、ここで手術したら生きて帰ることは無いだろうと思い、投薬でとりあえず出血が止まり命の危険が去るまで我慢し5日目に自分の意思で治療を拒否して病院を出た。
その後たまたま電話番号を持っていたサロンのお客さんで外科医やってる人に連絡し、すぐに彼女の病院の救急に行くように言われ、そこに入院した。前の病院では分からなかった出血箇所は2番目と3番目の頚椎の下の奥深い場所だと判明し、脳の血管の専門医と脊髄の専門医の2人がかりで6時間の手術を受けた。あとであと2日病院に行くのが遅れたらこの世にいないだろうと言われた。
手術直後は左半身は麻痺していて翌日から容赦なく始まるリハビリでも全く動けず結局自分で歩くこともままならないまま合計1ヶ月の入院生活終えて11月末に退院した。
幸い利き手の右手は無傷。左手のリハビリから始め足から全身のリハビリを全部こなしてクリスマス前のミーティングには杖をついてサロンに行き1月から仕事に戻った。
初日に取った予約はたった2人。
お客さんも我慢強くみんな付き合ってくれた。
まだ麻痺や痺れや痛みは残るけどもうみんな忘れてるんじゃないかな。
そのくらい良くなった。
死ぬ気は全く無かったし絶対に治ってやると思っていたから本当に怖くは無かった。気持ちの余裕が無かっただけかもしれない。
ただ、病院があり医者がいて麻酔も電気も途絶えずにある。
そういう国にいるから私は生きている。そういう事だ。
今年は本当にそう思う。