保守新党(ほしゅしんとう、英称:New Conservative Party, NCP)は、かつて存在した日本の政党。
本項目では、本政党結成の歴史的経緯から、事実上の前身である保守党(ほしゅとう、英文名称は同じ)についても説明する。
保守党
自自公連立政権(自由民主党・自由党・公明党による連立政権)からの離脱に傾く自由党党首小沢一郎及び同側近グループに対し、連立継続を望む海部俊樹最高顧問、野田毅前幹事長、二階俊博運輸大臣、中西啓介選対委員長らを中心としたグループは新党結成を画策。2000年4月2日、小渕恵三首相が緊急入院。翌4月3日、連立政権残留グループはホテルニューオータニで新たな政党「保守党」の設立総会を開いた。この時、自民党の野中広務らが自由党の中間派議員に選挙協力などで説得した結果、参加者は自由党所属国会議員(50名)の過半数に達する26名となった。保守党は過半数の参加を基に自由党へ分党要求をしたものの一貫して拒否されたため、やむなく離党による新党結成という手続きをとり、政党助成金は同年6月の総選挙後まで交付されなかった。当時マスコミや野党からは保身党、自己保身政権と酷評された。
初代党首は当初、野田が有力視されていたが幹事長を希望、海部も固辞。選挙の顔として元女優で当時参議院議員の扇千景が就任した。しかし総選挙ではわずか7議席に留まり、一方小沢率いる自由党は4議席増の22議席を獲得した。
翌年7月の参議院選挙では、改選数2に対して当選者が比例代表の扇党首一人に留まったために責任論が噴出、同年9月に退陣する事になった。
なお、同選挙では保守とホスピタル(病院)を掛けた「保守ピタル」というCMが放映された(2001年6月9日、国会内で撮影。女医に扮した扇が出演した。このCMでは扇がかつて出演していた富士フイルム「シングル8」のCMで使われた「私にも写せます」をもじった「私にも治せます」というフレーズがあった)。
党史
2000年
4月3日 - 自由党から分裂して保守党結成、初代党首に扇千景が就任。
6月25日 - 第42回衆議院議員総選挙で7議席と惨敗…