1894年のフィジー移民は脚気の罹患者が多く出て死者も少なくはなく、しかも当時は脚気の原因が不明だったため伝染病が疑われ日本人移民は早々に帰国させられたのですが、その中に宮本常一の父が含まれていたのですね。『忘れられた日本人』を読まなければ。