王兆澄は船中で労働者達と接触し、帰国後すぐにケガ人収容の手配や虐殺事件に関する記者会見をします。
そして帰国後四明公所に収容されていた労働者と起居を共にしながら精力的に調査を始めます。
この時四明公所には1,248名の温州・青田出身者が滞在していて、その中には黄子蓮や黄国章ら虐殺事件の被害者もいました。
この四明公所で王兆澄は、習志野に収容された者のうちの温州出身者のほとんどと会ったと考えられています。
送還船、そして四明公所での調査の結果が、10月15日から11月30日までの間で断続的に発表、各紙に掲載される「日人惨殺華工之鉄証」です。