“公正さ(ジャスティス)の基準とはひとつでなければならない。ある者たちには適用されるそれが、別の者には適用されないなら、それは公正ではなく、不正のためのツールである。パレスチナ人にとって国際法とは自らの普遍的人権を実現するための唯一の武器だが、欧米諸国にとってそれは、「敵」を非難するときは振りかざし、自己の利益のためには踏みにじる、ご都合主義の道具に過ぎない“
ガザに関しての米政府の鶴の一声がもたらす私にとっての違和感がこれだ。
米政府が国連を差し置いて「世界の警察」であろうとする姿勢にも私には違和感がある。
あえて「政府」といっているのは国と国家の体制というものを自分の中で分けたいからなんだけど。
アメリカという国の良いところは本当に大好きだけど、こうやって一国が正義の剣を振りかざすような傲慢さを持ちその視点に基づいた基準を一律に押し付けようとする事にはとても抵抗を感じる。
先日シューマーが中国で政府にイスラエル支持を迫ったのも同じこと。
ハマスの恐ろしい暴挙は全く許されるものでは無いけれど、塀に囲まれ出入り口も封鎖され閉ざされた空間の中で避難しろと言われても行くところがない人達が居るのを知りながらライフラインを断ち爆撃する事が正当化されて良いとも思わない。
TUP速報1026号 「人権の彼岸」から世界を観る――二重基準に抗して | Translators United for Peace