幸いにして、あるいは不幸にして、いまマストドンにいる人の多くは、「偉大な経営者」とされるイーロン・マスクが、それなりの公共性も持ちかけていた便利なツールを、暴君が権力を見せつけるために無辜の人を虐殺するように、破壊するのを目にして避難してきました。それだけで十分な例だと思います。
先月マスクの伝記が出て、ニュース番組で「リスクを取るマスクは偉大だ」と提灯持ちをしていましたが、なるほどマスクはリスクを取ったにしても、同時に他の多くの人もリスクがあるように巻き込んでいるのではないか、それは悪いことではないのか、そんな風に感じます。
マスクのリスク選択によって、それに巻き込まれたツイッターのユーザーのような人びとがもまた、リスクにさらされます。その場合、もっとも割を食うのは、リスクの耐性が低い、さまざまな弱者やマイノリティであって、決してマスクではないのです。この非対称性は、よく考えるべきことだと思います。