震災直後、まだご遺体がそこにあるのではないか、といった時期の津波被災地に行った経験を思い出します。
ご遺体そのものを見ることはなかったものの、そこにご遺体があるかもしれない、という状況で(スマホですが)カメラを構え、シャッターを押すというのは、かなり困難なことでした。
過去の写真を振り返ってみると、私は避難区域にもかなり足を運んでいるのですが、自分で後悔するくらいには、避難区域の写真を撮っていません。
カメラを構え、シャッターを押すという行為をする気になれませんでした。一部残っているものは、泣きながらシャッターを押していました。
これは、職業として入ったカメラマンの方でさえ、似たような状態であった、という話はいくつも聞いています。
その経験からも、戦地においても、ご遺体など衝撃的な映像を撮るという行為そのものに強い意志と意図が働いていると見るべきで、それがなんなのか(使命感か、興奮か、政治的意図か)、そこまで考えた方がいい時代なのでは、と思っています。