勝訴した弁護士などの言う「正義は勝つ」の”正義”とはなんだろう。
誠を尽くし時を待てどもなんくるならない沖縄に正義はないとでも言うのか。
「正義」が勝ったと言う人々にそのことを聞けばきっと正義は沖縄にある、と答えるだろう。
ではなぜ様々な理不尽が沖縄に襲い掛かるのかと聞けば、それは差別があるからだ、と答えるだろう。
ではその差別は何に/誰に向けられているのかと聞けば、殆どの人は少し考えて沖縄県と答え、”誰に”の部分には権力的沈黙を行使する。答えはウチナーンチュ/琉球人である。
一見もっともらしい言葉を並べる人が何を言うかよりも、何に沈黙するかがその人を正確に表すように思う。
例え政権が変わったとしても、差別構造が隠されたまま先住民族差別は続く。辺野古新基地建設が中止になっても、カタチを変えより洗練された差別がウチナーンチュの全てを破壊し続ける。
何度も繰り返される「不当判決」はよその都道府県ではあり得ない植民地ゆえの判決であり、私達にどれだけの正義があろうと民族差別を認めない相手に対し勝ち目はないのだ。
「正義は勝つ」を振り回し見せびらかしながら「沖縄差別」に頭を悩ませる人が居たら伝えたい。まずはあなたが民族差別を認めない限り「沖縄差別」が是正される見込みはございません、と。