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ある人が何らかの点でマジョリティ属性であること自体を批判したり糾弾したりするのはフェミニズムの政治が目指すものでもクィアの政治が目指すものでもないと私は思うのだけれども、とりわけSNSなどで小さく切り取られた鋭利なメッセージだけが一人歩きしがちな状況が続いてきた中で、特に若くてまだ感受性も鋭い人たちを中心に、そういう風な「マジョリティ属性それ自体に罪悪感を覚える」形でメッセージが伝わってしまっている側面は確実にある気がしている。
私はずっとTwitterを使ってきたので意図的ではなかったにせよ結果としてそのようなメッセージ伝達の一端を担った責任はあると思っているし、さらに言えばそれに意識的になったのもこの数年だし、気がついても介入の仕方がわからなかったし、というのもある。
ただ、「マイノリティ認定をしたらその途端にマイノリティ側が道徳的・倫理的に絶対優位に立つ」と思い込んでいるかのような発言を、差別側、被差別側、権利擁護側のいずれにおいても目にすることは多くなっているし、なんかちょっと一度そのあたりを整理して共有していく方法はないんだろうか、とは思う。