まあそういう「地雷」を踏みたくなければ常に落ち着いた上品な言葉を使うように心がける、っていうのは処世術としてアリなんだけど、罵倒や下品な言葉は人々と怒りを共有するために、「これって怒っていいんだ、仕方がないことではないんだ」というのを人々に伝えるための極めて強力な武器でもあるんだよね。
ただ、あらゆる武器がそうであるように、武器が強ければ強いほど、使い手はその強さに飲み込まれて自分が強くなったと錯覚し、他人を侮るようになり、立場の入れ替え可能性っていうリベラリズムの根本にある考え方を見失うリスクというのはあると思う。