批判を経て思想が鍛錬されるのはその通りだけれども、たとえばトランスというあり方を巡って、あるいはたアイデンティティを巡って、あるいは誰が女性なのかという問題を巡って、フェミニズムが鍛錬して練り上げてきた思考を踏まえて話をするのでなければ、その主張には意味がないでしょう。単にガラガラポンで蓄積を無かったことにするのは、批判を通じた思想の鍛錬とは違うのではないかと思います。
というか、このような問題についてフェミニズムの思考がどのような批判を受けて何をどう考え直し鍛錬されて来たのか、ここで一言で簡潔に同意表明されている方は、ご存じなのだろうか。それを踏まえずに単に「そうだねこれらの問題についてフェミニズムはもっと批判を踏まえて思想的に鍛錬されるべきだね自分もそう思うよ」と仰っているなら、フェミニズムの思考を馬鹿になさるにも程がある、と思う。