RT。これはすごく怖い誤解。すぐそばにトランスジェンダーとしての来歴をもつ女性がいたからこそ、彼女たちをわざわざ(ラディカルフェミニズムを支えている理屈の一部を極端に引き延ばすことによって)排除しようとするフェミニストが生まれたわけなので、最初から排除がデフォルトだったのなら、あれほどまでに「トランスセクシュアル問題」が表面化して記録にも残るようなことはない。そしていつも忘れられがちだけれど、清水さんがつねに想起を促し続けてくださっているのが、フェミニズムの歴史をともに作ってきた(現在でいう)トランス男性やトランスマスキュリンたちの存在。ラディカルフェミニズムの核心部分にある発想が、いくつかの不適当な推論ステップを踏むことでと一瞬でトランス排除に転用できるというのは、それはそれで事実だし、だからこそその誤った推論ステップのどこかどのように誤っている(誤っていた)のかについては、丁寧に考える価値があるのだけれど、でもわたしは、第二派フェミニズム(含ラディカルフェミニズム)の歴史のなかに確かにいたトランスの/トランスな先輩たちの存在を抹消したくない。