対ネトウヨ対レイシストの排除がなぜ「結果として」反差別反ヘイトの実践になるかというと、行為(=国籍差別などの言動がなされたこと)と属性(=ネトウヨである/レイシストである)がたまたま一致しているから。
差別言動を実際にしているからネトウヨ/レイシストとカテゴライズされるわけだから、これは当然のこと(行為の積み重ね→属性)。でも、この構図に慣れすぎるといつしか属性→行為の思考回路も醸成されてしまう。そしてそのまま「属性そのもの」だけで排除することの危険性がわからなくなる。なぜなら対ネトウヨ対レイシストでは「行為=属性」と判断して批判することができてしまうから。
批判すべきはあくまでも「行為そのもの」のみであり、行為主が持つ属性とは切り離しておかなければならない。ネトウヨ/レイシストだから批判するのではない。差別をしているから批判するのだ。