「敵と認識した存在を排除する」という原理でなされるそれは、対ネトウヨや対レイシストの場合には「結果として」反差別反ヘイトの実践となりうる(ことが多い)が、残念ながらその原理はまさに差別ヘイトのそれなので、その原理を矛として向ける相手が変われば差別ヘイトになる。