えっと、それで、
たとえば『説明しても理解できない』(努力とかでどうにもならない)者がいたとして、その者の理解の限度というものがあり、理解をしている者の基準に無理やり合わせようとする場面って結構多いと思う。
思い返して浮かぶ例としては、
アルバイトの特定の業務がどうしてもできないとか(僕はレジの"返品処理"が半年やってもできなかった。覚えられないとかじゃなくて"処理できない")
時間にどうしても間に合わないとか(これも"処理できない"のを"ライフハック"で部分的にどうにかしてる)
逆に、自分は検索や計算、アプリを頼ることなどができる(できてしまう)ので、
地理が苦手な者にGoogleMapを使うと良いと"勧め"たり、
計算に躓いてる者の"負担を減ら"そうと自分で処理したり、
……色々と"うまくいく"/"できる"ようにさせようとしがちだと思う。
それ自体がその時・そのひとの困りごとにとっては良い作用をするかもしれないけれど、
これは"できない""わからない"状態を許容できてないところから来る行動でもあるとすごく思っている。
最近ずっと……