私と一緒に親鸞の著作を読んでいる男性は「私が日本語を学びたいのはあくまで浄土真宗についての知識を得るためなので、レストランで日本語を使って注文したり、他人とスモールトークをするということには興味がありません」と最初から言い切っており、これは学習者としての目標がはっきりしているし筋が通っている。