ポリティカル・コレクトネス(英: political correctness、略称:PC、ポリコレ)とは、社会の特定のグループのメンバーに不快感や不利益を与えないように意図された政策または対策などを表す言葉の総称であり、人種、信条、性別などの違いによる偏見や差別を含まない中立的な表現や用語を用いることを指す。政治的妥当性とも言われる。
具体例は下に挙げられているが、例えば、看護婦・看護士に代わって性別を問わない「看護師」に統合したことや、母子健康手帳に代わって父親の育児参加を踏まえて親子手帳と呼ぶことなどが挙げられる。
歴史
公的な場やメディアでは、この言葉は一般的に、これらの政策が過剰であるとか、不当であるといった意味合いの蔑称として使われている。
1970年代から1980年代にかけて、左派の人々が「ポリティカリー・コレクト」という言葉を使い始めたのは、自己批判的な風刺であり、真面目な政治運動の名称というよりは、皮肉を込めて使われていた。左派の間では、政治的正統性に固執する人々を風刺するための仲間内のジョークと考えられていた。
20世紀後半、新左翼に対する保守派の批判から、この言葉の現代的な侮蔑的用法が生まれた。この用語は、1990年代にニューヨーク・タイムズ紙などに掲載された多くの記事によって広まり、1987年に出版されたアラン・ブルームの著書『アメリカンマインドの終焉(The Closing of the American Mind)』をめぐる論争でも広く使われた。この言葉は、ロジャー・キンボールの『終身雇用された過激派たち(Tenured Radicals)』(1990年)や、保守派の作家ディネス・ドゥーザの『偏狭な教育(Illiberal Education)』(1991年)をきっかけに、さらに広まった。
米国の政治的左派は、「保守派がポリティカル・コレクトネスの概念を用いて、不利な立場にある集団に対する実質的な差別的行為を軽視し、注意をそらすために利用している」と指摘している。また、右派は、「自らの支持する構成員やイデオロギーに対する批判を抑えるために、独自のポリティカル・コレクトネスを実施している」と主張している。
この言葉は特にアメリカにおいて、リベラル派と保守派の間の「文化戦争」で大きな役割を果たしてきた。
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