私自身、2009年イラン動乱で目の前に流れてくる英語の情報を日本語にして流しているうちに(私はイランとは、仕事でイランに関する翻訳をしたことがあるという以上には縁もゆかりもなかったが、目にしたものをそのままにはしておけないという、時折言われる「見た者の責任」ゆえに、それをさらに伝えていくというのは、当時の自分にとってはただの日常だった)、それまで3ケタだった被フォロー数が、4000を超えるようになった。
ネット越しの画面の向こうで人々が殴打され、撃たれていて、日本ではそれを見た自民党のお坊ちゃん国会議員(90年代に首相を務めた政治家の息子)が「日本はこんなふうにデモで混乱する国じゃなくてよかった」と得意げに語り、ネットで流される大手メディアの記事では、イラン国外の映画祭のレッドカーペットでイランの映画人たちが選挙不正追及運動のシンボルカラーを身に着けて連帯を表明していて、テヘランではテヘラン大学の寮に治安当局が踏み込んでいたが、日本の大学人の連帯の発言はあまり見かけなかったと思う。
Twitterというのはそういう場で、やがて……