2009年当時はTwitterは「個人が何をしているか」What are you doing? のやり取りの場だった。友人同士の間で、「あと30分で作業終わるけど、誰かメシ行かない?」といったことを連絡し合うツールとして作られていた。
それが、2009年のイランの動乱で、より広い範囲での情報の共有と、無関係の非当事者にまで届くほどの情報の拡散を可能にするプラットフォームとなりうることが示された。
それが、後に、Twitterがより共有と拡散を容易にする方向を決定づけたのだが(イランの動乱の当時は、Retweetといえば手動でコピペすることだった。「Re何とか」という発想は、当時、Tumblrなどもあって流行っていたが)、目の前の光景に、開発者のジャックやエヴァンたちも泡を食っただろう。
日本では2011年3月の東日本大震災がTwitter定着の契機になったというナラティブが、多くの個人の実体験を伴って、主流となっているが、日本語圏の外では違う。2011年ならその前、1月末からの「アラブの春」だし、それに先行していたのが2009年夏のイラン選挙不正追及運動である。