何らかの被害の記憶を理由に「ここは譲れない」とばかりに実のところ関係ない他者をひとまとめにして排除しようとする動きは差別主義者への入り口っていうかデビューなので、わたし自身危ない要因を持ってる。自分のアイデンティティを傷ついた側面にあまり預けすぎない方が良い、と思う。そうしたくてもできなくて、ときに苦しく難しい場合もあるけれど。自分は悲しい思い出を作るために居続けたくないのでそういう方針です。