考えてみれば、ジブリの「ハウルの動く城」も舞台はハプスブルク統治下の山岳自体であったような気がする。
フランドルは英仏百年戦争の終り頃には、ホンジンガの名著『中世の秋』で知られるブルゴーニュ公国の統治下にあった。
ジャンヌ・ダルクを見殺しにしたシャルル7世の息子ルイ11世の時に、ブルゴーニュ公シャルル「突進公」がスイス・パイク兵(長槍密集歩兵)に敗死してから、ブルゴーニュの大部分はフランス王国に吸収。
しかし「突進公」の娘マリーは婚約者のハプスブルクのマクシミリアン(まだ神聖ローマ皇帝ではない)に助けを求め、僅かな時間差でマクシミアリンはフランドルに到着。
マクシミリンはブルゴーニュ公としてギネガテの戦いで、やはり歩兵密集集団でフランス重騎兵突撃を大破。
以後フランドル支配を不動のものとした(尚。マクシミリアンから神聖ローマ皇帝はハプスブルクの事実上世襲となる)。
このマクシミリンとマリーの子フィリップと「狂女」とされるスペイン王女ファナの間の子が、かの神聖ローマ皇帝にしてスペイン国王、カール5世。
カール5世はフランドルで生まれ育ち、母語はフランス語。スペイン語はスペイン国王になってから習得。
この辺りは国民史として出発した日本の西洋史学は完全に死角になっている。