1990年代。世紀末とすら言われた時代に、私たちは生まれてきた。私が知る限りでは、ちょうど受験の頃を境に、新宿池袋あたりで、バニラカーが走り始めたのを覚えている。つまり2012年か。当時の友人と『あれヤバいっしょw』とふざけ合った。しかしながら、"受験によって生きたcpuを作り出して産業を回すこと"と"風俗嬢を街に多産して食い扶持とお金を回すこと"に、ではどれだけの違いがあったのか?つまり、時代というものは全てのそこに生きる我々人間を取り込み、逃れられない運命の呵責を与え続ける、強制的な進化のための装置ではないのか?はるか昔恐竜が隕石で滅びたように、人間もまた、産業革命によって自らを滅ぼし、新しい生き物をうみだそうとしている。