原作が「左翼イデオロギー」に見えるとしたら、あるいは誰かがそう呼んでいることの意味について自分自身で咀嚼することもなく、ただそう呼ばれているからというだけでアンタッチャブルなもの扱いすることになんのためらいもないとしたら、それはさすがに知性の放棄なのではと思う。もっとも映画はただの私小説だから、風見鶏な人たちも "安心して" 見たらいいと思う。わたしはおもしろかったよ。