関東大震災では、山下公園と元町のあいだを流れる川の橋で中国人が殺されたのが明らかになっています。また、埠頭でも中国人の集団が殺された事が少なくとも証言としては残っています。中国人が殺された場所から中華街までは10分程度です。
私の祖父は関東大震災発生時は都内に仕事で出ており、そこから当時住居があった保土ヶ谷まで戻ってくるのですが、そこで検問や連行される朝鮮人を見たという話を聞かされていますし、戻って来るあいだの地域では、中国人虐殺の目撃証言もあります。
実際祖父のように家に戻るために移動していて襲われたという話は少なくないです。仲間で徒歩で移動して夜になる、ある者は野宿を選択し、ある者は夜通し歩く事を、一旦引き返す事を選択する。野宿を選択した者はそのまま行方不明になり二度と会えなかった。という話が珍しくありません。
また例えば荒川区のある駅では、地震から3日目に、到着する汽車から下車する中国人を一人ずつ鳶口で襲ったという証言もあります。
住居のちょっと先の保土ヶ谷の谷間の朝鮮人集落は虐殺で全滅したと聞きました。
少し何かが違っていたら、祖父も被害に遭っていた可能性があります。