一定の基準を超えたフェミニニティに対して起きる、一見するとジェンダー平等的なミソジニーは考えたいところ。マリー・ローランサンなんかはまさにそうしたミソジニーを投げつけられ、時にそれはホモフォビアにもなっていた。ローランサンはもちろん本人の言説に批判すべきジェンダー区分がある一方で、それがホモフォビアに至るほどの憎しみをローランサンのフェミニニティに投げつけられるのはなんなのか。