ここに顛倒があります。安倍に批判的だった側の方がむしろ安倍の死に意味を見出そうとし、安倍を称賛していた手合いに限って安倍の死を無意味化しているかのように思われてなりません。もっとも、世の問題を指摘すること自体を攻撃してなかったことにするのが、もっとも「安倍的」かもしれませんが。
私がかねて思っているのは、安倍的な社会の分断というのは、社会に問題があると声を上げると、声を上げた行為自体を権力に仇なすものとして攻撃することで、問題自体がないかのように思い込めるのではないかということです。これは長谷川晴生さんの指摘に想を得ています。
https://twitter.com/hhasegawa/status/1245818580660301829
社会問題を指摘する連中は「偉そう」「上から目線」だ、と「叱られる子供」に逃げ込むことで、その問題はノイジーマイノリティーの「利権」なのだ、と問題自体を拒むのです。問題があると声を上げる当事者はそのイシューでは弱者なのですが、「弱者は弱者らしく多数派のお恵みを乞え」というわけです。